よつば(@428yotsuba_life)です。
子育てと仕事と家事と・・一人で頑張っていませんか?
離婚したらどうなるんだろうか❓協力してくれない夫と離れたら、やはり一人では大変か❓生活は出来ないのか❓など、私の実体験を元にまとめてみました。
2度の離婚を経験しているからこそ、感じた事。
持ち家を持っていたので、財産分与をどうしたのかなどもまとめてみます。今回は1度目の離婚と再婚に至るまでも少し書いてみます。
離婚した際の世間体について
離婚を考えたのは、下の子が産まれて1歳過ぎた頃でした。
勿論下の子を産むときは、想像もしていませんでした。下の子が産まれてからも、夫とはお金の価値観や子育てについては全く意見が合わず、というか全く興味がないようで、完全にワンオペ育児でした。
2人もいると、日々地獄、子供を産んでからのタイムスケジュールは以前の記事にも書いています。
下の子が産まれて、1歳にも満たない時に実母が「脳幹出血」で倒れたのがきっかけで、自分の中に張り詰めていた何かがバラバラと崩れていきました。
自分の子育てと、母の病気が重なって精神的におかしくなってしまったのです。当時は自分では大きな病気だと思って、不安で毎日眠れませんでした。そんな毎日の中でも、夫は自分のペースを全く崩さず、とうとう私自身がパニック障害になってしまったのです。
とにかく体が言うことが聞きません。喉にいつもビー玉が詰まっている感じで、とても仕事に行ける環境ではありませんでした。
動きたくても動けない時に、助けてくれたのは夫ではなく実の弟や上の子のママ友だったんです。
私はこのままこの夫といて、自分自身が倒れたら助けてくれるのだろうか?不安ばかりが募ってました。
私の体の異変にも興味がなく、仕事から帰って来ては好きなゲームをやり、早い時間に寝る。
この不満をもったまま、一生を共にする事は不可能だと感じていました。
パニック障害になって、自宅のトイレで過呼吸になって2度ほど救急車を呼んでいるので、近所の方はどう思っていたか?
直接は聞かれなかったので、今でも分かりませんが、後に離婚しているので色々噂は飛びかったと思います。
パニック障害になって直ぐに、いつも不安な事ばかりを考えてしまうようになって、眠れなかったり言葉が出し辛くなったり、子供にも心配はかけていました。
下の子を産んで1年足らずで母の事をきっかけにパニック障害になってしまったのもあり、世間体がどうのとか考える余裕がなかったのも事実です。
母が一命を取り留めて、容態やお世話になる特別養護老人ホームが決まって、私のパニック障害も少しずつ共存できるようになった頃、真剣に「離婚」について、私頭の中で準備は進んでいっていました。
世間体を考えるより、自分自身の体のしんどさを取ることが第一優先だと「パニック障害」を経験して学びました。
お金の問題について
離婚するに当たって、一番の問題はお金と持ち家でした。
正直浪費家の夫でしたので、私1人の収入で子供を育てるのがどれ位の負担になるかはあまり心配していませんでしたが、収入が2馬力から1馬力になる事は事実、、母子手当など貰えないか色々調べました。
結果、母子手当などは前年度収入を元に決定するようで、私は正社員で仕事をしていたので、全くの対象外でした。
かといって、夫に養育費を毎月貰うのは本当に払ってくれるのか?毎月やり取りしないといけない、もし払ってくれないとなると揉めることになるので、自分の収入だけでなんとかならないか考え、住宅ローンの一部だけ夫に被って貰う事を持ちかける事で、離婚に踏み切る事にしました。
離婚までの経緯
上記でも書きましたが、2人目が産まれて母の脳幹出血での対応が一番のきっかけです。
結婚8年目でした。子供が3人いると思って頑張ってきましたが、私の体がどうにも思うように動かなくなってしまったのと、このまま一緒に過ごして私は本当に後悔しないのか??
パニック障害になったとき、常に不安で「死ぬかも知れない」って感じていました。子供がいると、死への恐怖を感じるようになります。子供って凄いですね。生きる源です。
パニック障害の本を読み漁り、簡単には死なない事を知り、パニックに陥ってしまった時は深呼吸を意識しました。
少しずつ体調も回復して、自分自身の事、子供の事も考えて、離婚を前向きに考えるようになりました。
いつ位に話をしようか考え、年末年始なら時間も取れるであろうと12月28日に話をする事にし、夫に話したところ、なんとその日に自分の身の回りの荷物をまとめて実家に帰ってしまったのです。
事前に離婚届は用意しておいたので、テーブルに置いて、ずっと考えていた旨を話すと「分かった」とだけ、、、何を分かったんだろうか?と思いましたが、彼はとっとと用紙にサインをし、実家は15分位の所にありましたので、少ない荷物だけ持って出て行ったのです。
あまりに呆気ない最後でした。
子供たちの反応
実は離婚の話しをした日は、事前にこの日に話すと決めていたので、ママ友の所に子供には泊まりに行ってもらっていました。
帰って来て、上の子には正直に話をしました。長男は6歳になるので、私の言っている意味を理解していました。
私は子供の前で喧嘩をしたり、夫の悪口を言ったことがなかったので、長男にとっては良い遊び相手で、良いお父さんだったんです。
大泣きされました。
長男には好きな時に会って良い事、私がどうしてもお父さんとは一緒に過ごせない事、長男の環境を極力変えないようにする事で納得はしてないけど、諦めはついたようでした。
ただ、思った以上に父親が会いたいと言ってこなくて、私に気を遣っていたのかも知れません。
夫とも離婚届を出す前に、家の手続きもあるので書類を揃えてから1度だけ話し合いの時間を設けた時も「子供とは会わせてくれ」とは一度も言われませんでした。
離婚する際に話し合った事
離婚の話しをする際に、問題点を書いて、当日それを見せて話をしました。
- 子供の親権
- 子供と私の姓について
- 養育費の事
- 住宅ローンの事
- 車の事
子供の親権については私の方で勿論育てると決めていたので、夫は全く興味がないようでスムーズでした。名前についても、子供の保育園や学校があるので、夫の姓をそのまま使うことに合意して貰いました。籍を移動するとかの事は全く彼は無知なので話しませんでした。
一番大きい買い物の住宅ローンは共有名義、住宅金融公庫と銀行と2か所で借りていたので、銀行の借入金額が900万程度あり、その金額だけは夫に払って貰う事で合意しました。
私が払う住宅ローンは1500万程残っていました。月のローン返済としては6万位でしたので、生活は出来るだろうと判断しました。
車については、何といっても車好きの浪費家。
新しいのを自分で買うというので、現在の車は私の方で貰いました。
貯金については、そもそもかなりの浪費家だったので、我が家に貯金なんてあると思っておらず、触れる事もなく終了しました。
本来は家庭裁判所に行って、調停をした方が後々安心だったのかも知れませんが、銀行のローンの一部だけ払い続けて貰おうと思ったので、家の名義だけ全て私の名義に変更し、銀行のローンだけ継続して払って貰うように手続きしました。
共有名義を私だけの名義に変えるのも、司法書士さんを通した方が良いと言われましたが、自分で法務局に出向き、手続きを行いました。
このサイトが詳しく書いてあるので、名義を変えようと思っている方は、高いお金を払うより、ご自身で行ってみる事をお勧めします♬
もし住宅を売る事を検討しているなら、一度複数社見積もりを取る事をお勧めします。
現在、住宅は思っている以上に高値が付きます。今後の生活費を考える上でも検討の余地には入れても良いかと思います。
離婚してからの生活
正直申し上げると、夫がいた時より平和な毎日でした。
当時長男が8歳、長女が2歳でしたが、元々ワンオペ育児だったので保育園の送り迎えも私自身で全て行っていたので取り分け苦労を感じる事もなく、ひたすら動き続けている妻の前で、ゲームを呑気にやっている夫もいなくなり、ストレスフリーになりました。
後悔した点は、住宅ローンを全額渡せば良かったかな?ってところです。
世間はどう思っているか、気にしたら切りがないですが、自分が毎日辛いなら「離婚」と言う選択は間違えてないと思います。
子供はいつかいなくなります。自分を大切にしましょう。
母子家庭としてどう生きるか
子供2人を育てていく事に、取り分け不安はありませんでした。
周りでも離婚している人もいて、パートさんだったり主婦だったりなのに、日本の母子家庭に対する手当が非常に薄い事に、離婚して初めて気付かされました。
私自身は会社員で、至って普通のお給料でしたが、どこかのタイミングで収入を増やさないと、大学に行かせるのは難しいと感じていました。
また、子供二人いる事も理解してくれる方がいれば、再婚も視野には入れていました。再婚の条件は、子供は産まない、養子縁組をしてくれるを条件にご縁があったら前向きにお付き合いはしようと思っていました。
今はマッチングアプリなどで、お互いの条件も入れられので登録だけでもしておいて損はないと思います。
特に女性はお得な情報ばかりです🎵
結婚相談所も種類がかなりありますので、私のお勧めを貼っておきます。
離婚経験があるからと卑下せずに、自分に自信をもって日々過ごしていたら、良いご縁も飛び込んできます。
私は結果2度も離婚をしていますが、現在とっても幸せです。今苦しんでいる方の一助になれたら幸いです。
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