よつば(@428yotsuba_life)です。
2社目の企業は年間休日125日 完全週休二日制(土日祝祭日) 9時~17時までの就業時間・社会保険完備です。入社当時は長男1人2歳を保育園に送り迎えしながらのワーキングマザーでした。当時の生活リズムと、アクシデントが起きた時の対処などをご紹介していきます。
赤ちゃんを育てながらのフルタイムは
想像以上に大変です。一人でも多くの方が
良い環境で子育てが楽しめるように、まとめてみます。
一日のタイムスケジュール
長男が生まれてから生活のリズムはガラッと変わりました。一番辛かったのは、自分の寝たい時間に寝れない、起きたい時間に起きれない事。
【当時のタイムスケジュール】
AM6:00 | 起床 | 子供が起きなければラッキー |
AM6:00~7:30 | 洗濯・朝ご飯の準備・子供の保育園準備 | 大体ここで邪魔が入り毎日格闘 |
AM7:30~8:00 | 朝食・出かける準備 | |
AM8:00 | 保育園へ出発 | 行きたくない病が毎日発動 |
AM8:30 | 会社へ | この頃はこの時間が平和~ |
PM12:00~13:00 | 自宅へ | 掃除と洗濯、夕飯の準備や買い物 |
PM5:30~6:00 | 保育園へ | 迎えに行くと、早いと文句 |
PM7:00 | 夕食 | |
PM8:00 | 入浴 | |
PM9:30~10:00 | 子供の寝かし付け | |
PM11:00 | 片付け&翌日の準備 | |
AM0:00 | 就寝 |
毎日保育園に行くたびに、行きたくないと泣くので、働いている事に罪悪感を覚えていました。転職先は9時~の就業で皆さん10分前に来ていたので結構ゆとりがある生活でした。
仕事内容
転職先の仕事内容は経理で採用でした。所謂同族って会社で、気に入ってもらえるとお給料が上がるような会社でしたが、子育てしながら働いているのは当時私のみでしたので、少しプレッシャーはありました。
経理と言いながらもほぼ要の事は社長夫人が行っていて、私は出来た物を入力したり、印刷して発送したりとかなり単純な事ばかりでしたので、子供を育てながらやる仕事としてはベストでした。締め日に請求書を発送するので、10日・15日・20日・末日だけはお休みは取れません。
福利厚生
まず年間休日125日は実は有給休暇を当て込む企業でした。有給の残日数が給料明細には永遠に載らなかったです。更にお休みすると給料が引かれるという、欠勤扱いになっていました。現在では考えられないです。
就業規則も勿論開示してませんでしたし、1年に1度海外旅行があり、参加するとなると冬のボーナスが1回50万位出て、35万を会社に旅行代金として支払うという斬新なやり方をしていました。年収に入ってしまうんだから可笑しな事です💦私は子供もいたので1回だけ社員旅行には参加しました。ボーナス=海外旅行費用(お小遣い込み)今もこんなやり方しているのか?は分かりません。
会社行事が多く 1月:新年会 4月:見桜会 6月:屋形船 8月:花火鑑賞 11月:海外旅行 12月:忘年会
その他に、ダイビングやジェットスキー、船舶を取らせてくれてそこに関しては何故か会社が支給してくれました。それも子連れ参加もOKだったので、ダイビングは資格も取り、何回か行きました。
2人目を妊娠
1社目に比べたらとっても緩い会社でしたので、ワンオペの私でもなんとか仕事と両立はしていけ、私の人生設計で2人は子供が欲しかったので2人目を考えていました。とはいえほぼそんな行事はしていなかったのですが・・なんと1回で妊娠(笑)入社して、3年目でした。
会社の社長夫人に妊娠したことを告げ、産前産後休暇と出産予定が12月だったので、3月まで休みたい事を相談するとOKを頂けたので、1人目に比べてゆったりと出産の事を考える事が出来ました。
恐らくなんでこんな一人で子育てしているみたいなのに、離婚しないの?って感じている方もいるかと思います。
この頃は離婚なんて世間体を重視していたので一切考えておらず、流石に私一人のお給料では生きていくことは無理だと考えていたので、どうにか旦那さんが協力的になってくれる事を願いつつと言う感じでした。
産前産後休暇
私の休暇中は、社長夫人が仕事をしてくれていました。家から近かったので、ちょくちょく顔は出していました。無事に12月に出産し、1人目を預けた保育室に相談に行き、入れそうなので4月から復帰と会社には伝えました。
職場復帰
4月から復帰する際に、慣らし保育などもあるので実家の母に家に来てもらっていました。慣らし保育も終え、ようやく子供2人を育てながら仕事をするリズムが取れ、毎日あっと言う間に過ぎていました。
実の母が倒れる
忘れもしません。2人目を出産し、仕事復帰を4月にした僅か2か月後の6月30日㈮、私の携帯に知らない番号から着信がありました。
茨城県の病院から「〇〇さんの娘さんですか?お母さんが意識不明です」と・・・そこからの記憶が定かでないんですが、就業中だったので社長夫人に事情を説明したら落ち着くまで休んで良いと言ってくれ、自宅に帰って兄妹に電話し、茨城県の病院まで弟の車で行ったのは記憶しています。
脳幹出血
病院に着くと、ICUに入っていて主治医の先生からお話しがありました。旅行先で倒れて、脳幹出血ですと・・植物人間か、2.3日が山場だと…その話の途中から自分の声が出なくなり、弟が代わりに話を聞いてくれました。人間て不思議ですよね。
結構強いと思っていた自分の体が、実の母が目の前で命を終えようとしているのを見た途端、力が入らなくなったんです。
その日は近くのビジネスホテルで泊まる事にしました。子連れで来たので、子供は弟が見てくれ、後から来た夫と親戚に弟が事情を話し、私はその日は1人部屋にしてくれましたが、眠れぬ一夜を明かしました。
同族の良さ
母の件があり、2人目もまだ10カ月で、自分の体調も崩してしまいました。会社の社長夫人に相談すると、全然気にせず休んで良いのよ。って一度自宅に来れると言われ、社長宅も近かったのでお邪魔したところ、お見舞金を50万円も頂きました。←正直これにはビックリ!!
今回は甘える事にして、1ヵ月丸々お休みを頂きました。勿論ちょくちょく連絡は入れてました。
自分の弱さを知る
自分では気丈で体も強い方だと思っていました。(子供の頃は病気がちで母に迷惑をかけてました。
そんな私が、母が倒れてまず声が出なくなって、一命を取り留めたと分かって何とか声が出せるようになりました。しかし、思うように体に力が入らない日が続き、会社からお休みも頂いていたので、病院に行きました。診断は特に付かず、睡眠薬を処方されたり、恐らく精神安定剤的なのを処方され、授乳中なのもあり一切飲みませんでした。
大きな大学病院なども行ってみたのですが、脳の検査をしてみたり・・・でも結果はなにもなし。そこで漢方医のいる心療内科を見つけ行ってみました。カウンセリングらしきものを受け出た診断は「パニック障害」
一時的に出る人もいるから、漢方で様子を見ましょうと、葛根湯と半夏厚朴湯を処方されました。
幸いにも葛根湯が私には合っていたようで、力が入らない症状はだいぶ良くなったのを覚えています。
職場復帰
結局私の具合の事もあり、丸々1ヵ月お休みを頂きました。
母の一命も取り留め、茨城県の病院から地元の病院に転移も出来るまでになり、私の体も喉の詰まり感を残して落ち着いてきたので、職場に復帰しました。
この件では正直感謝しかないなと思っています。
まとめ
働くママにとって、特にご主人が忙しくほぼ「ワンオペ」の方は、自宅近くの勤務地がベストかな?って思います。保育園から電話があっても、残務処理をしてから行けるし、お昼に自宅に帰る事も出来ます。←私は毎日帰って、誰もいないので掃除をしていました。
同族会社の利点・・アットホーム・自宅近くでも沢山仕事がある・お昼に帰る事が出来る
同族会社の欠点・・嫌われたら部署異動が出来ない・社長や社長夫人との距離が近すぎる・個人情報が駄々洩れ
会社にもよるかも知れませんが、私の勤めていた会社はこんな感じでした。ただ、残業が事務職はほぼなかったのと、何より土日祝祭日がお休みで、ワーキングマザーにとっては最適だったと思います。
コメント