【ワーキングマザー必見】転職のタイミング

    よつば(@428yotsuba_life)です。

    多分誰しもが、何度となく「退職」とか「転職」とか考えていると思います。仕事って本当に楽しいって思ってやっている人って、どの位いるのか?

    私の経験から、子供を育てながら働いているワーキングマザーにとって、退職をする事に対してのリスクや、お金の事、実際に退職後の転職などはどうだったのか?など、まとめてみたいと思います。

    一昔前は男は一生同じ会社で遂げるのが当たり前な感じだったよね~。
    女性は結婚か出産で皆んな一旦辞めてたね。

    よつば

    昔は女性は子供が出来たら退職する人が多かったけど
    今や子育てしながら働くから、体に負担がなく、
    良い環境で働けるのがベストだよね。私の経験から
    会社がどうあるべきかも含めて、まとめてみようと思います。

    目次

    1社目の就職

    私は高校卒業でそのまま就職しました。1社目は勤続10年です。1991年の入社です←ふる~!!!その時代は女性で勤続年数10年を超えて、結婚してない人を「お局様」って呼んでいたと思います。それ位、会社に長くいる女性は皆無でした。1社目の会社は中途採用を基本的に行わない会社で、同じ学校から採用していたので、先輩後輩が結構ありました。しっかりと新人研修OJTも行っており、3カ月一通りの部署に行き、人事が決まります。私は当初業務課へ配属され、3年経ったころに経理で出産を機に初の産休を取る方がいて異動となりました。その方は結局産後8週で戻りましたが、違う部署のパート勤務となり、初の出産で復活の方なので注目されていました。

    私は会社でもどちらかというとベテランの域の25歳で、結婚&出産をする事になり、上司に相談して産前6週・産後8週の休暇だけ取って、復帰する事に決めました。私の仕事は男性が引き継いでいます。

    1社目での結婚&産前産後休暇

    無事に出産し、当初では育児休業など取れる雰囲気でもなく、「家庭保育室」と言う市の委託保育で子供を見て貰いながら職場復帰。部署は幸いにして同じ部署に戻して貰えましたが、体は結構きつかったのを覚えています。何といっても、まだ生理も復活してないですし、帰れば赤ちゃんのお世話で完全にワンオペ←夫は自分の事で精一杯(離婚しています。)むしろ構って欲しい・・・

    会社も土日も完全ではなく年間休日が111日で、有給なんて完全に飾りの時代(笑)

    出産したから仕事出来なくなったよね❓と要らぬ噂が立つのが嫌で、かなり必死でした。

    転職を決意

    保育園は当初土曜日はお休みで、会社が土曜日出勤の日は自分の母に来てもらって見て貰うか、市で行っているファミリーサポートさんにお願いしたりと、子供も随分と大変だったと思います←一番私が大変だったと思ってますが(笑)

    家庭保育室から保育園に移動は翌年の4月~慣らし保育にバタバタとしていたある日、夜に部屋中がぐるぐる回って・・・救急車で運ばれました。完全に過労です・・・その時に旦那さんは、全く子育てに協力的ではなく、一人で全てをこなしていたので、このまま仕事を続けるのは不可能だと思いました。

    仕事は継続しないと家計が回らなくなるので、家の近くで完全週休二日制の仕事がないかひっそり探していたところ、面接1社目で採用になり、退職の意向を伝えました。

    復帰して3年目の時です。引継ぎは、私が産休を取った際に男性がある程度出来たので、そんなに大変ではなかったです。

    転職するか・・・頑張るか・・・

    転職は正直悩みました。何といっても保育園も稼働証明がないと保育園に継続して入れて貰えない。そうすると、転職先は絶対見つけてから退職とは決めていました。なんて女性に優しくない国なんでしょうね。もっと子供を育てやすい国になって欲しい。仕事だって、男性と同じことしてるのに給料は安いし←実際全員のお給料知ってました。

    納得いかないことは多かったけど、退職は11月20日にしました。ボーナスが11月支給だったのもあるし、保育園の稼働証明は年明けの提出だったので、万が一転職先がダメでも何とか探せるかなと思いました。頑張りたい気持ちもありましたが、今の生活をしていたら、恐らく病気になると思い、たまたま直ぐに見つかったのも転職を決意した要因です。

    1社目の退職金

    勤続は厳密にいうと9年8カ月 役職はなし 退職金額は70万円支給されました。

    この頃の年収は450万円(残業&休日出勤込み)高校卒業の学歴、女性ではそこそこの年収だったと思います。退職金の算出基準も当初は一覧表になっていて、男女で分かれてました。あの頃って男女雇用均等法とかって既にあったのに・・・まだまだ浸透していなかったのが事実だったと思います。

    転職まで

    退職を会社に伝えてから、引継ぎを1ヵ月をかけその後退職。今思えば有給消化での退職なんて皆無!!!

    当時は有給使わない=偉いみたいな感じで、年末に会社で行っている表彰式で「皆勤賞」たるものがありました。勿論有給も使わないのが条件で1日も休まなかったら10万円頂けます。私は2度も貰っています。←実は少ない方です!!

    24時間働けますか~の時代を生き抜いています”(-“”-)”会社を退職して、2.3日お休み、次の会社に転職と言う、無茶苦茶な1社目から2社目への転職となりました。

    まとめ

    51歳になる今でも、初めての会社って色々覚えているものですね。全て初めての事ばかりでしたからね。同期も6人いて、もう誰も残っていません。仲の良かった女性の同期が私が退職してから病気で亡くなってしまい、その後は誰とも連絡は取っていません。彼女が亡くなったのも本当にショックでした。従業員全体300人弱のアットホームな会社でしたが、社員旅行・社内行事も多く会社の方とスキーに行ったり、競馬に行ったり、楽しかった時代です。

    もし、出産してなかったら、まだいたかも知れないです(笑)それ位働いている人を、大切にしてくれてた会社です。経理に異動になって、上司が陰キャで仕事一筋だったので、経理の事は他社より細かく教えて貰えたのが、この後の社会人として役に立ちました。

    初の就職が人生を左右すると思います。これから就職する方は、真剣にそして会社の雰囲気も良く見させて貰って、充実した社会人生活を送れると良いなと思います。私の1社目の終止符は、自分の体力と保育園と仕事の折り合いが付かず退職となりましたが、、、ワーキングマザー生活はまだまだ続きます!

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